はじめに
忘れたくても忘れたい記憶というものが誰しもあることでしょう。ただ、そうした記憶を忘れる方法は明らかではありません。他人に相談すれば「他のことに集中して」だとか「思い出さないほうがいいよ」などと言われます。彼ら彼女らには悪意はないでしょうが、根拠のない助言を受けモヤモヤするのがいつものことです。また、嫌な記憶が重いものであれば PTSD と呼ばれ、精神疾患の一種として研究の対象にもなっています。
果たして嫌な記憶は本当に思い出さないほうがいいのでしょうか?また、忘れるための根拠のあるいい方法はないのでしょうか?
解決の鍵は神経細胞の新生にあるかもしれません。今回は嫌な記憶の忘却に関わる研究結果を紹介します。
メマンチンは記憶の忘却を促進する
実験は、まず嫌な記憶を作るところから始まります。実験はマウスをケージに入れ、そこで電気ショックを与えるという簡単なものです。電気ショックは嫌なもの・怖いものなので、マウスはこのケージ(環境)を記憶して動かなくなります。この動かなくなる現象をフリージング(Freezing)と呼び、実験では恐怖をどれだけ記憶しているかの指標とすることがよくあります。(論文ではFreezingの時間を比較したりします。)
恐怖を記憶させた後、別のケージにマウスを移して生活させ、四週間後にまた恐怖のケージに入れるとマウスはフリージングを示します。我々も嫌な場所に来ると自然に汗をかいたり緊張したりしますよね、それを同じです。
ここで、別の恐怖を植え付けたマウスを用意し、普通の生活をしているときにメマンチンという物質を投与します。すると、四週間後、マウスを恐怖のケージに入れてもフリージングをあまり示さなくなるという結果が得られました。(メマンチンは恐怖学習の一日後から、4回投与しました。)
つまり、メマンチンを投与することで嫌な記憶が忘却されるということです。
メマンチンとは
一体メマンチンとはどういう物質なのでしょうか?
マウスにメマンチンを投与すると、脳の海馬で新しく生まれる神経細胞の数が 4~5 倍に増加する*1ことが研究で明らかになっています。
海馬は記憶の形成に重要なことで知られています。ただし、近年では記憶は海馬から大脳皮質に移行して保存され、海馬は保存された記憶を繋ぎ止める役割をしていると考えられています。本書ではその様を「扇の要」として表現していました。
つまり、扇の要が海馬の神経細胞に対応しており、ここで新しく神経細胞が生まれて新陳代謝が促進されることで、記憶が固定しにくくなるという仮説です。でも、これだと嫌な記憶以外もすぐ忘れそうですね。
正直僕は納得していないです。実際、メマンチンがどのように神経新生を促進するのかは明らかになっていないと本書にもかいてあります。物質としてはメマンチンはNMDA受容体を阻害する働きを持っているとのことです。今後の研究を待ちましょう。
おわりに
恐怖学習をさせてから八週間後にメマンチンを投与しても、恐怖は忘却されないらしいです。つまり、時間が経った古い記憶は海馬の新陳代謝を促進しても残り続けるということを意味します。
もし、忘れたい記憶があるとすれば、早くなんとかしないとダメだということですね。鉄は早く打てです。じゃあどのように対処すればいいのかと考えた時に、メマンチンなんか手に入りませんよね。そこで、僕は運動することを提案します。ランニングなどの運動をすると海馬の神経申請が促進されるという研究結果が得られているのです*2。運動すると筋肉からカテプシンBという物質が分泌され、脳内でBDNFがつくられ、これが神経の新生を増加させると考えられています*3。
*1:2014年Scienceの論文です
https://www.science.org/doi/10.1126/science.1248903
またこちらも参考論文です。
*2:添付したNatureの論文に載っていると思います。
*3:https://www.bri.niigata-u.ac.jp/research/column/001981.html