目的のない勉強会

しがないニートです

【羊をめぐる冒険】俺は俺の弱さが好きなんだよ【村上春樹】

前回の記事

catano.hatenablog.com

 前回の続きです。鼠の言う弱さとは何なのか。なぜその弱さにより鼠は死んだのか。

 考えたいと思います。

鼠のいう弱さとは何か

弱さというのは体の中で腐っていくものなんだ。まるで壊疽みたいにさ。俺は十代の半ばからずっとそれを感じ続けていたんだよ。だからいつも苛立っていた。自分の中で何かが確実に腐っていくというのが、また本人がそれを感じ続けるというのがどういうことか、君にわかるか?」

 僕は毛布にくるまったまま黙っていた。

 すごくわかるね。何に苛立っているのかわからないんだけど。だから、自分に対して苛立っていると思い込みたいんだけど、具体的に何かはわからなかった。何もできない自分に対してだったろうか、違うだろうな。

「たぶん君にはわからないだろうな」と鼠は続けた。「君にはそういう面はないからね。しかしとにかく、それが弱さなんだ。弱さというのは遺伝病と同じなんだよ。どれだけわかっていいても、自分で治すことはできないんだ。何かの拍子に消えてしまうものでもない。どんどん悪くなっていくだけさ」

「何に対する弱さなんだ?」

「全てだよ。道徳的な弱さ、意識の弱さ、そして存在そのものの弱さ」

 全てだよって。

 僕は笑った。今度はうまく笑うことができた。「だってそんなことを言いだせば弱くない人間なんていないぜ」

「一般論は止そう。さっきも言ったようにさ。もちろん人間はみんな弱さを持っている。しかし本当の弱さというものは本当の強さと同じくらい稀なものなんだ。たえまなく暗闇にひきずりこまれていく弱さというものを君は知らないんだ。そしてそういうものが実際に世の中に存在するのさ。何もかもを一般論でかたづけることはできない」

 たぶん、鼠は(村上は?)弱さが何かわかっていない状態だと思う。自分の中で腐っていく何かがあり、それを弱さと呼んだのだろう。

 でも、弱さって何だろうと素朴に考えると、勝負に関係するんじゃないかと思う。勝ち負けがあって、勝ち続ける人間を強いと言うし、負け続ける人間は弱いと一般的にはいうでしょ*1

 鼠は何か勝負のようなものを(おそらく自分と)していて、それを忠実にこなして生きていたのではないだろうか。でも、毎日勝負に負け続け、自分を弱いと認識していた。そういう解釈はできないだろうか。仮にできたとして、では勝負とは一体なんだろうか。

 それは、人生は生きるに値するかどうかという問題に、決着をつけることだと思う。鼠は決着をつけられずに負け続け、死んだのではないか。

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弱さが好き

俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。

 最後の鼠の言葉。死の原因が弱さであれば、鼠は死の原因が好きだと言っている。

 気持ちはわかるけど、行為については俺は肯定できないね。

おわりに

 このあたりは自分でも片付いていない。何度も何度も読み返したり、考えたりしている。記事にするかは迷ったのだけど、とりあえず公開しておこうと思います。

 消化できていないけど、鍵となる文章を下にメモとして残しておきます。

柄谷行人はなぜ村上春樹に苛立ちを見せたのだろうか。柄谷は村上に大江健三郎のような小説家になれるだけのものを感じとったのだろう。ところが村上は意識的にそこから離れていき、安易な道を歩むようになった。『ノルウェイの森』において、イロニーを内破するではなく、イロニーさえ脱ぎ捨て、アイロニーなしのロマンティシズムに堕してしまった。なまじこの小説家はバカではないと考えただけに無視してすますこともできないが、それだけに柄谷や蓮實重彦らは正面から論じることさえ厭わしく感じるようになったのだろう。*2

 読み進めると

鼠が「羊」の誘惑を拒み、これを封じ込めるために自ら命を絶ったのは彼が弱さを肯定したからだ。村上は「弱さ」の側に立とうとするし、それは後に直接的に「壁と卵」の比喩として語られた。このような「正しい」姿勢は、戦後民主主義と同じように退屈極まりない。しかし村上はあえてその退屈さを引き受けようとした。柄谷や蓮實からすると大江のように暗い力を抱えた小説家と凡庸な進歩的文化人との間で分裂するというでたらめさ(もちろんこれは肯定的な意味で)と比べると、村上のその退屈さは我慢ならないものであったのだろう。

 ここ1、2年くらいは、社会学系の本も読んだりしている。イソノミアという社会形態が気になるけど。。

 とりあえず、おわり。

*1:勝負というと《踊る小人》での勝負を思い出す。そこでは小人を体の中に宿して、小人の脅威的な踊りの能力を手に入れるんだけど、一言でも言葉を発してはいけないという約束をする。もし言葉を発してしまったら、小人に体を乗っ取られるということになる。小人を体に宿した僕は素晴らしい踊りでお目当ての女の子を手に入れようとする、そういう話。話の中での勝負の約束は簡潔でわかりやすい。人はそうした簡潔な(ゴールの明確な)約束を設定して、生きていく。書いてて、なんか関係あんのかって思ってしまった。

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*2:柄谷行人村上春樹の何に苛立ったのか その3」 satotarokarinona.blog.fc2.com