雑記

面白いと思ったことをまとめます

小説「グレート・ギャッツビー」読んでみた

 

 

読み終わって思ったこと

 この本を初めて読んだのは大学1年の夏だったと思う。大学では英語の多読が推奨されていたから、グレート・ギャッツビーも英語で読んだ。当時の僕の英語力では話の内容がわからず、途中で読むのをやめてしまった。ただ、本の印象は覚えていた。昔のアメリカ、夜の海をボートがどこかへと進む様子。(なぜこんな場面が浮かんだのだろう?)

 

 とにかくあれから6年が経った。この本を日本語ではあるが、読んでみて思った率直な感想がいくつかある。一つは作者は文章が上手いということ。構成がうまく、表現もうまい。最初に伏線的な、結果的な情報を出したうえで、それに向かっていく。ゴールを提示してから、そこへうまく向かっていく能力がある。冗長でない。

 例えば、1章の終わりにギャッツビーが海に手を伸ばしていた場面、僕は話に引き込まれた。

 

「僕」について

 「僕」は村上の作品に出てくるような僕だ。デタッチ(つまり傍観するイメージ)している。(p.71など) 後半ではギャッツビーに傾倒(コミット?)した。

 

ギャッツビーについて

 結局、ギャッツビーはどういう人物だったのかと問いかければ、瞬時に答えが出せない。1章の後半、僕はギャッツビーに期待した。それは夜の海に向かって手を伸ばすということが、何か重要なことを一人で模索するような行為に思えたからだと思う。

 手を伸ばした先にいたものが、デイジーであると明らかになった時、僕はギャッツビーにもこの作品にもがっかりした。そんなものかと思った。(でも何であれば僕は嬉しかったのだろう?)でも、読み進めるうちにギャッツビーの真摯な求め方に少し気持ちが動いた。事故を起こした後でもデイジーを思うギャッツビーの盲目的行為に対して、気持ちが動いた。

 けれど、結局は俗物だったのだろうか?

 

 この作品はとても綺麗な作品だが、どこか物足りなさを感じる。